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昭和25年、広島での国体に向かわれた天皇陛下は、浜松でお召し列車を乗りかえられました。その折、お茶の友に選ばれたのが、当時、新聞、雑誌に取り上げられて評判だった"ふる里"。通常、めったに召し上がらない陛下が、この"ふる里"をお口に運ばれて、"おいしい"と言われました。陛下がおいしいと言われたのは、四国のソバ饅頭と、この"ふる里"であったと、後に侍従から聞かされ。中西幸太郎は感涙したということです。
この"ふる里"は、故・中西幸太郎の半生の苦難が刻まれた作品と言えます。
 岐阜県武儀郡武儀村の農家に生れた彼は、3人兄弟の末っ子。上の2人も早くから働きに出、母ひとり子ひとりの生活が続きましたが、やがて一念発起して京菓子屋に丁稚に出ました。
来る日も来る日も、案じるのは、たったひとり、岐阜のふる里に置いてきた母のこと。野に咲くタンポポを見ればふる里を想い出し、ふる里は、そのまま母の面影を偲ばせるのです。
 やがて、戦争が始まり、そして終わり、戦後の混乱の中で、中西幸太郎はお菓子づくりで糊口をしのぐしか道はありませんでした。
しかし、ちょうど関西と関東の中間に位置する浜松人の味覚は、生粋の京菓子職人として修行した彼の手づくりの味に、さしたる評価を与えてくれませんでした。京菓子としては、むしろ邪道とされるゴマやユズの香り、こってりとした甘味が喜ばれるとあって、改めて一から修行し直したのでした。
やがて、天竜川沿いでとれる上質のシソを用いた、独特の和菓子をあみ出しましたが、関東好みのシソの風味と、関西好みの洗練された甘味とがマッチして、またたく間に、浜松の一大銘菓としてヒットしたのです。
 菓名を付ける時、彼は迷うことなく"ふる里"と命名しました。
 母を呼び寄せたい、ふる里の母を喜ばせたい - という一心から生れたお菓子だからです。

ふる里総本家 創立者 故 : 中西 幸太郎 (大正6年9月 〜 昭和63年4月)

昭和22年5月 浜松市連尺町にて『濱一羊羹(はまいちようかん)』として創業する
昭和29年8月 『株式会社ふる里総本家』として法人設立する
昭和43年12月
民生委員就任
昭和48年2月 第18回全国菓子大博覧会鹿児島大会審査員
昭和52年2月 第19回全国菓子大博覧会静岡大会工芸文化局長・審査員
昭和54年5月 静岡県菓子工業組合副理事長に就任
昭和59年2月 第20回全国菓子大博覧会東京大会、博覧会理事・協賛会理事・監査員・県内出品委員長
昭和59年12月 民生委員副総務に委嘱
昭和61年3月 静岡県菓子工業組合設立20周年記念大菓子まつり会長
昭和62年3月 夢工場『世界の菓子まつり』(テレビ静岡主催・静岡県菓子工業組合共催)大会本部長

主な写真の内容

 ・昭和22年〜24年 創業当時の鍛冶町町店
 ・昭和27年 浜松カーニバルパレード参加
 ・昭和30 皇太子殿下に献上
 ・昭和30年初期 ふる里製造風景
 ・昭和30年代 鍛冶町大通り風景
 ・昭和37年頃 有名人達もふる里を訪れました
 ・昭和52年 高松宮邸訪問
 ・菓子博覧会にて 高松宮殿下をご案内

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